【子連れキーウエスト観光】ヘミングウェイの家レポ・バナナフィッシュを回想

キーウエスト観光の中でどのガイドブックにも出てくるヘミングウェイの家。
これが予想以上に面白かったので、ヘミングウェイの家について紹介します。今回のメンバーは母と娘7歳の二人です。(我が家のメンズは興味なしで来ませんでした。)

 
Nokko
私にとってヘミングウェイと聞くと、真っ先に思い浮かぶのはBANANA FISHというマンガなのですが、その話は後ほどたっぷりしたいと思います。興味のある人は最後までお付き合いください。まずは実際に行ってみたレポートから。

ヘミングウェイの家のレポート

ヘミングウェイの家基本情報・駐車場について

Hemingway Home
907 Whitehead St.
305-294-1136
年中無休 9時から5時
入場料(30分のガイドツアー付き)大人15ドル、子供6ドル(6~12歳)現金のみ

朝9時少し過ぎには、ヘミングウェイの家から5分くらいのところに車を停めれるスポットを発見し路駐。ヘミングウェイの家には駐車場はなく、しかしこのエリアが中心地からは少し離れているからか、駐車場の料金メーターが付いていませんでした。
入口にチケットボックスがあるので、そこでチケットを購入。ホームページには大人15ドルと書いてありましたが、実際は14ドルでした。なぜか分かりませんが。現金のみです。9時過ぎでしたが、続々と人が来ていました。

ガイドツアーが料金に含まれているので、娘とともに参加

チケットを渡すとパンフレットがもらえます。日本語のパンフレットがありましたので日本語に。入ってすぐの右側の部屋からツアーが開始されます。10分後に始まるとのことで、少しお部屋で待っていました。家の1Fから2Fの各部屋をまわり、ベランダ、そのあと庭に出て、プールや水飲み場などの説明を聞きました。

ヘミングウェイの人生がまあ、魅力的

ツアーで各部屋を回りつつ、その部屋の壁に飾ってあるものの説明を受けるのですが、ヘミングウェイさん、ご本人がめちゃくちゃ魅力的で波乱万丈の人生。
私の気になったところだけどまとめますと、
イリノイ州オークパーク産まれ、お父さんは小児科医。6人の子供のうちの2番目
高校卒業と同時にカンザスシティースターという新聞社?での執筆仕事が決まって家をでる。
第一次世界大戦で、19歳だったヘミングウェイは赤十字の救急車の運転士として志願
1918年イタリアで榴散弾の破片で、足に大けがを負ったまま負傷兵を肩に担いで司令本部まで戻った。そのときに入院した看護婦に猛烈にアタックするも思い届かず。
1921年に ジャーナリストとしてシカゴのサン新聞社に勤めていたころ最初の妻ハドリーと結婚。 ミシガン州で結婚し、パリへ転居。そのころ、ロストジェネレーション(母国を離れパリに住んでいる芸術家や作家たち)の仲間(ピカソやダリなど)と出会う。
1927年ハドリーと離婚。ハドリーの親友でヴォーグの編集者だったポーリーン・ファイファーとすぐ結婚キーウエストへ。
1940年、ポーリーンと離婚し戦場記者のマーサゲルホーンと結婚しキューバに移住。
第二次世界大戦では、戦地記者として活躍。この当時の妻マーサも第二次世界大戦の全線で記者として働く。
1945年にマーサと離婚。
1946年雑誌タイムの記者だったメアリーと結婚。キューバへ。
1960年アメリカがキューバと国交断絶したため、キューバに帰れなくなる
晩年は精神病に悩まされ、1961年にアイダホ州で自殺

家に飾っていある写真からも、彼が旅行が大好きで世界中旅していたこと、事故にも何回かあっていること、真のスポーツマンで釣りや狩りをこよなく愛していたことが分かりました。

ヘミングウェイの奥様達も魅力的。ヴォーグの編集者だった奥さんのセンスを感じるお家

ヘミングウェイはすごく情熱的な方だったのだろうと思われますが、好きになる人のタイプが似ていますよねぇ。
2人目の奥さんポーリーンは、パリのヴォーグの編集者で、3人目の奥さんマーサは金髪の女性記者で、しかも1937年のスペイン内戦から、1991年の湾岸戦争までのすべての戦争で記者として活躍していたというし、1944年ではノルマンディ上陸作戦を報道していた5人のうち1人で、ノルマンディー海岸での唯一の女性だったとか。なんだかすごい人です。4人目の奥さんメアリーも雑誌タイムの記者ですから、みんなキャリアウーマンで才色兼備であることは間違いないですね。
このキーウエストのお家は、2番目のパリのヴォーグの編集者の奥さんが買ったもので、インテリアなどもすべてこだわっていたらしく、お家自体もすごく洗練されています。

猫がたくさんいて、さらに半分ぐらいが指が6本ある

この家の主は、猫です。いろんなところに猫が居たり急に出てきたりするので、娘はそれを楽しんでいました。そしてこの猫ちゃんたち、ヘミングウェイがもらってきた多指症猫の子孫たちで、半分くらいは6本指なのです。ツアー中も、猫がやってきてくれるおかげで、子供にとってはつまらないであろうこのツアーも、娘は耐えてくれました。

家はもちろん、庭と執筆スタジオの雰囲気も最高

「武器よ、さらば」や「誰がために鐘はなる」「キリマンジャロの雪」などなどが執筆された離れも覗けるようになっていました。
お庭も、ボタニカルガーデンでそんなに広くはありませんが、猫も居てとてもいい感じでしたよ。

ブックストアがある(本にはここで買ったとわかるエンボス加工入り!)

ヘミングウェイ作品と、猫関連のグッズがならぶお店も中にありました。ヘミングウェイと聞くと、真っ先に思い浮かぶのはBANANA FISHというマンガ なのですが、それに出てくるヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」という本を買ってみました。
表紙をめくると、ヘミングウェイのお家で買ったというエンボス加工が入っていてテンション上がりました。

BANANA FISHに出てくるヘミングウェイの作品「キリマンジャロの雪」について

この作品がアメリカ滞在中にアマゾンプライムで映像化されたので毎週見ていたのですが、(設定が現代になっているので、原作と違って少し、いや、大分、違和感を感じるところもありましたが。)再度記憶がアップデートされていました。個人的にはもし読んでいない方にはまず原作を読んでもらいたいのですが、映像版はとにかくアッシュが美しいのでこれもまたおすすめです。

主人公アッシュが、自分の死生観を語るシーンで、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」を引用するのですが、
「キリマンジャロは高さ19,710フィートの雪に覆われた山で、西側の頂はマサイ語で神の家と呼ばれているこの西側の頂上近く、干からびて凍りついた一頭の豹の死体が横たわっている。こんな高いところまで豹が何を求めてやって来たのか・・・誰も説明したものはいない・・」

アッシュは、この豹について、「奴はなぜそんな高地へとやって来たのか、獲物を追いさまよううちに、戻る事の出来ない場所へ迷いこんでしまったのか?それとも何かを求め憑かれたように高みへ高みへと登りつめ力尽きて倒れたのか。奴の死体はどんなだったろう?戻ろうとしていたのか?それとも、なお高みへと登ろうとしていたのか?何れにせよ奴はもう二度と戻れない事を知っていたに違いない。」と英二に語ります。

それに対し、親友の英二が「運命は変えることが出来るんだ、豹にはない知恵を持って。そして、君は豹じゃない。そうだろ?」と応えるのです。

これを書いているだけでも泣けてきました。最後の英二がアッシュに送る手紙でも再度この豹の話が出てきました。そういうわけで、私の中でなじみのある作品はキリマンジャロの雪 The Snows Of Kilimanjaroだったのです。

 
Nokko
本を開けてみると、キリマンジャロの雪は短編でほかの短編とまとめて一冊になっていました。アッシュが引用した豹の話は、話の冒頭部分でした。挿絵が一切ないので、豹もどんな感じで横たわっていたのかは想像するのみになります。速攻挫折しかけていますが、頑張って読みたいとは思っています。